「残酷」とは何か考える必要があって、オコナーの「田舎の善人」、義足の女が詐欺師に義足を持って逃げられる話ばかり頭に浮かぶ。

sly & the family stone のデジタルリマスター再発盤の音が素晴らしく、まとめて買う。 森山大道の「遠野物語」の再発文庫版も買って帰る。

「顔のない眼」見直す。仮面をかぶった主人公が一人、言葉を発することもなくさまよう終盤、仮面のために無表情なのだけど、それによってかえって画面からただよってくる。小鳥を肩に乗せて林を歩く場面。

ヒッチコックの「レベッカ」を見直す。シナリオがよくないと思う。映画に置き換えるにはどこかを大きく削るべきだったと思う。原作を忠実に映画化した結果、映画としては面白くない場面が増えて、間延びしたようだった。それでもレベッカの主観が映像化され…

「首」はすごかった。小林桂樹がうわごとのように「腐ってしまう。早くしないと腐ってしまう」と言うところ。妄執。 最後の首の陳列された研究室が燃え上がる場面もストーリーとは離れて、映画が瓶の中の首を欲望しているようだった。

「剣鬼」はスペクタクルとして申し分なく市川雷蔵の魅力が溢れていた。歩き方、背中のシルエット、表情、声、殺陣、全てがいいのだけど、暗い宿命のドラマとしては物足りなかった。 「花の吉原百人斬り」を思い出し、内田吐夢監督であればまた全然違う「剣鬼…

中川信夫監督の『牡丹燈籠』、素晴らしかった。 原作の、幽霊との恋愛はそこそこに、ひたすら悪党たちの欲得の世界を追っておいて、最後にぽっかりと死(者)の世界が口を開ける。「怪談累ヶ渕」とかなり近い。 機械仕掛けのように欲と陰謀と因果が重なり合…

デュモーリアの「レイチェル」。とてもよかった。ゆっくり、確かに崩壊してゆく感覚にぞくぞくする。 「レベッカ」もよかったが新訳で読みたい。ヒッチコックの「レベッカ」は小説の一人称を完全に映画化できている。 「鳥」の「恋人」「モンテヴェリタ」も…

「女教師 私生活」「安藤昇 わが逃亡とSEXの記録」(田中登監督) 「女教師」の、現実と妄想が絡み合いながら高みへ昇る長いベッドシーン。「安藤昇」ベッドシーンでの安藤昇の無表情。修行僧のような。

「運命じゃない人」DVDで見るが耐えられずに15分でやめて、千原弟の「詩ツアー2005」を見た。面白かった。

「屋根裏の散歩者」(田中登監督)。川名で焼き鳥食べて帰る。

「鬼火」(田中登監督)。

「女教師」(田中登監督)

「牝猫たちの夜」「女教師」(田中登監督)。「牝猫〜」は散漫だけど最後の15分がよかった。第三者の死とセックスを通じてエロスが燃え上がる。「女教師」は永島暎子のキャラクターが平凡で美しさがもったいなかった。永島暎子の復讐が見たかった。現場を…

ラピュタ阿佐ヶ谷で見た「その壁を砕け」(中平康監督)は傑作数歩手前というように感じた。 映画を見ていて自分がぞくぞくする瞬間というのは、主人公の(秘めた)恐れや欲望が、現実として顕わになる瞬間で、他にも見ていて楽しいことは多々あるが、このぞ…

吉岡実「薬玉」「ムーンドロップ」の面白さに突然気がつく。

復刊された「水の女 溟き水より」のたくさんのオフィーリア、「二人、あるいは国境の歌」(守中高明)など。 「フロイト全集17」など買う。

「ヴィオランタ」は素晴らしかった。今年一番印象的かも知れない。「天使の影」はファスビンダー色が強く、モノローグの多さに疲れる。警視総監がぐちるシーン、背中を向けたイングリッドカーフェンにカメラがゆっくり前進し、彼女が振り向くアップまでの1…

(恐らく)存在しない溝口健二のサイレント映画を、夢で見る。1人の武士が高い木々の狭間の小道を歩いていて、はたと立ち止まり、これまで正しいと思っていたことは全て間違っていたと気づくシーンだけ覚えている。

「シネマ2」(ドゥルーズ)「モーゼと一神教」(フロイト)「日本人の異界観」など購入。 鈴木清順特集全く見に行けない。

「ラ・パロマ」見直す。骨壷はしっかり映っていたが、骨壷に見えない。 「折鶴お千」原作の「売色鴨南蛮」(泉鏡花)読む。映画のほうがかなり膨らましている。そのため、映画の最後が小説と同じなのが歪みになって現れている。

「カンヌ映画通り」踊るキーラ・ニジンスキーの美しさとグロテスク。夢見るような表情。「トスカの接吻」と同じ。

「恋人たちの時刻」冒頭とその次で2人のキャラクターがまったく変わるのが面白い。いきなり走り出し鐘を鳴らす所など。

「折鶴お千」(溝口健二監督)、回想の奇妙な映画。山田五十鈴壮絶綺麗。主人公の17歳には苦笑。

「ラ・パロマ」原作の「スタニスラワ・ダスプの遺言」(エーヴェルス)を読んだが、ポオが書いたかのような死臭ぷんぷんするシニカルな怪奇話だった。「ラ・パロマ」の最後にやや物足りなさを感じたのは骨壷が映らなかったからではないかとふと思う。

人物が誰かに語りかける、そこから回想の形で映画が進む時、人称の問題が気になる。語っている人物がいる以上、画面にはその人物がいるか、またはその人物が見た場面でないとおかしくなる。その人物が存在したはずのない場面であれば、「〜だと誰それに聞い…

「ヘカテ」「トスカの接吻」「書かれた顔」「ベレジーナ」(ダニエル・シュミット) 艶やかでグロテスクな老人達。

あるメッセージを、発した人の意図を越えて受け取ること。そこに含まれている本当の秘密のメッセージを、発した者よりも「正しく」読み取ること。 「片目だけの恋」の少女は、男が深くは考えずに発したであろう言葉を、愛の言葉として「正しく」受け取る。男…

「ラ・パロマ」完璧と思う。墓場のシーンは少しだけ物足りないが。「昼顔」の夢オチは必然性が今ひとつわからないが、この映画と「飾り窓の女」では主人公のファンタスムが明確になる。明日はダニエルシュミットオールナイト。

ノーマンブラウン「ラヴズ・ボディ」をぱらぱら見る。 「この洞窟は墓である。この子宮は墓穴である。われわれはまだ生まれていない。われわれは死んだままである。まだ生まれていない子供たちの魂は死んだ祖先たちの魂である。こうした考えの根底には、化身…