ダンサー・イン・ザ・ダーク見る。
現実に対する想像力の優位。しかし、それは現実を変えることはなく、むしろ足を引っ張る。それでも、人の心の中では想像力が勝っている、という映画だと思って、現実がそれとは離れた痛いものであったとしても、全く悲しい映画ではないと思う。
ビッグフィッシュもそうだったけど、しかしあのように最終的に想像力が現実に反映されることはない。あくまで現実は想像力を拒否する。それはラストのぶら下がりシーンで表されている。しかしあのぶら下がりを、つらいものとは思わなかった。
男性とセルマの関係。全ての男女がセルマに魅かれているように見えること。セルマは全てに応えつつ、応えない。拳銃を握らされるときの生々しさ。
セルマの息子の父親について全く言及されないこと。どのような男だったのか。
カビリアの夜も見直す。
大好きで何度も見て、久しぶりにまた見たら、ジュリエッタ・マシーナの道化師ぶりに時々むっとした。
ジュリエッタマシーナ大好きだけど、ビョークのほうが好きだった。両方とも、女優というより本人のキャラクターが映画と結びついている感じがする。
ジュリエッタ・マシーナのちんちくりんなところは終始生かされている。川から引き上げられて逆さに持ち上げられる所。着ている服もいい。室内着の上っ張り、娼婦の必需品としての折り畳み傘。
催眠術の場面はもっと残酷でもよいような。催眠術師が遠慮してやめるが、やめなくていい。