百物語/杉浦日向子
自分にとって綺譚とはこれらの話だ。
「鳥屋喜右衛門の話」「長持の中の話」「魂呼びの話」「蜘蛛の行者の話」「愛娘の霊の話」前半のフリと、後半のオチに直接の関連性がない。それでいて、フリとオチは両方あって成立している。
「亡者の妻の話」「妖物二話の2」「地獄に呑まれた話」「別れの知らせ三話の1」「猫と婆様の話」「絵の女の話」「兇夢の話」「他人の顔の話」フリすらない。ただ、こんなことがあった、と語られる。しかしそこには人の業のようなものが抽出されていて、つまり、フリは必要ない。