やくざ観音 情女仁義(神代辰巳・脚本田中陽造
ここまでやっていいのだという、冒頭から現実を超えて神話として行われる因果応報。地獄めぐりは最後にいたっても、終わりを迎えさせてもらうことはかなわない。
絵沢萌子と岡崎次朗の朝の、絵沢萌子が歌う民謡の場面が美しい。

現実世界のほとんどすべての関係は貸借で成り立っている。そこで、貸借をきちんと清算していこうとする倫理観、正しさについての映画がある。借りを返す、貸しを返してもらう。個人と個人の間のルール、モラルについての映画。
しかし現世の貸借関係は終わることがない。特に、人に死なれたりすると、その相手との貸借関係は途中で放棄され、負い目が生まれる。
最終的には、我々の背後にいる、無数の死者への負い目、負債の感覚は終わることがない。それが永遠に続く因果応報の物語になる。
他方で、貸借を超えた贈与の関係がありうるかもしれない、という物語がある。
しかし、貸借の関係と、贈与の関係の間の葛藤が乗り越えられる地点を見いだすのは容易ではない。どの地点で貸借関係は贈与関係に変わりうるのか。贈与=愛が貸借を決定的に越える地点は、「奇跡の海」の最後くらいまで行かなければ不可能なのか。

嗚呼!おんなたち猥歌で、愛人はひたすら現世の、世間の価値にとらわれ続ける。中村れい子に、自分のことしか考えていないのね、と言われても変わることはない。その彼女が死んだ時、中村れい子が、わんわん泣くシーンの美しさ。