ヨロヨロとリーラジェイムスのライブ。去年のファーストアルバムがよかった。
子供の頃から歌うのが大好き、ソウルとファンクが大好きという感じで、昔のヒット曲を間に挟みながら進み、今は何年なのかと思う、本人もソウルトレインを東京に再現するわよ、みたいなこと言ってて、中年のソウルファンは大喜び。アメリカの南部は今もあまり変わってないのか、彼女が変わっているのか。しかし後ろの演奏にはやや不満。管楽器がシンセなのはもうあきらめているけど。

病み上がりのせいか、途中、変な汗をかく。暑くて汗腺からちゃんと出る汗ではなく、いつのまにか体がじっとり濡れていて、手で触ってそれに気づくと冷たい、というような。気づかないうちに静かに水をかけられていたような。
途中で抜けて女番長を見に行く。

女番長感化院脱走(中島貞夫
これまでとだいぶ変わっている。女番長の宿命であった、組織と個人の葛藤という問題を、番長グループを出さないことで解放し、ひたすら組織と権力からの脱出を、現実には存在しない自由への逃走をはかる個人を描いて、人生の苦々しさは消えていて若く、全てのカットにアクションがあり、話は一瞬も停滞せず、映画の進行は洗練されている。一人一人のキャラクターもしっかり描かれて、単純にすごく面白い。
前半は丹念に組織の実態、権力、力学が描写される。
内灘で再会し、一瞬、共同体が結成されそうになるが、嫉妬によってあっという間に瓦解し、そこへの希望はほとんどない。しかし、それが一瞬存在した時の、たあいもない、砂浜で蟹とたわむれる女たちの無為な遊びや、皆で腹一杯飯を食う場面が美しく見える。
そこから最後までの砂浜がよくて、ボート小屋がセットになったりロケになったりするが、その不自然さが、内側と外側が異世界である感じがして、とてもいい。
杉本美樹が夜中に目を覚ますと、伊佐山ひろ子が寝ている不吉さもよかった。何か連れて来てしまった、という。
この頃の渡瀬恒彦はぴりぴりしていていい。猟銃を奪い返す動きが速かった。音楽も最高。

棒の哀しみで、奥田瑛二は生きることに拘泥しつつ、死への憧れ、破滅衝動を見せている、しかし、その宙吊りの状態こそが生きることであり、それを快楽に変えていくのがマゾヒズムあるいはサディズムであることを、女としての永島映子が教えているように見える。女にはこういう地獄もあるのよ、と、射精という目標に向かい、目標の達成とともに終わるような男の快楽のありようを皮肉る。

森山大道の「写真よさようなら」が届く。
ネガがなくてサイズは大きくなっているのに、印刷は良くなっている。コントラストが上がり、写真というより印刷物という感が強くなっている。
この後行き詰まるのもよくわかる、写真や表現への愛というより憎しみに満ちていて、壊れている。この先はないんじゃないかという感じがするが、この後、復活してからの写真がまたすごいのがすごい。