神代辰巳特集が始まった。今日は「浪華悲歌」と「祇園の姉妹」を新文芸座で見る。
浪華悲歌は、もう何度も見ているせいか、思っていたより穴が多いように見えた。
冒頭の電話交換室の場面、山田五十鈴の最初のカット、新式の妾家のような集合住宅(パンション)、最後の数カットなど、本当に素晴らしいが、父親や恋人のキャラクターが図式的で一面的に見えてしまい、各場面も段取りめいて魅力がない所も多く、気になる。
帰ってシナリオを読み直し、飛ばされている場面が多いことに気づく。オリジナルプリントから今日の状態なのか、シナリオを読む限り、飛ばさないほうが良かったように思う。
冒頭では山田五十鈴の恋人が社長の妻となにやら怪しく、女たらしの安い男に見えるが、中盤以降はそうでもないらしく見えるため、最後が効いて来ない。
父親も思っていたより影が薄く物足りない。
祇園の姉妹のほうが、今日は素晴らしく見えた。常にアクションし続ける、山田五十鈴の一つ一つの振る舞いに目が釘付けになる。シュミーズ、歯みがき、お参り、火鉢、おちょこ、煙草・キセルのやりとり、傘、かつら。
男を引き込む手管を見せる3回ほどの場面がいずれも本当に面白い。
番頭を好きであるかのように振る舞う時の煙草のやりとり、傘で男を突っつく仕草。
泥酔した男を送る車中で計略を思いつく表情の可愛らしさと言ったらなくて、その後の旅館で煙草の煙を吹きかけて起こす所やおちょこが行ったり来たりする所などもたまらない。
呉服屋の旦那を自分の家の奥の火鉢まで引きずり込む手管のスリル。
山場となる車中の場面、運転手のセリフの曖昧な不穏さも本当にいい。
姉妹の家が、公私のけじめのない、だらしない空間になってしまっているのも素晴らしい。
姉の旦那の、ひょうひょうとしたキャラクターも最高。
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亀田親子の父子愛を安易な演出で見て、うんざりしつつ、父親というものについて考えてしまう。自分が記憶している父親とのやり取りというのの多くが、父親から何らかのルールを示されて納得した時と、言っていることとやっていることが一致しない父親にがっかりした時で、幼いときの自分が父親に、規範というものを期待していたらしいことを、振り返って思う。それは別に母親でも良かったのだろうと思うが、母親にはそれが望めないことも明らかだったと思う。
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古本屋でマルグリットデュラスを大漁購入。