「かぶりつき人生」「濡れた唇」(神代辰巳)、下北沢シネマアートンで見る。
デビュー作であるかぶりつき人生は普通の青春映画のようで、イメージする神代らしさというものはほとんど見られず、硬くて自分にはあまり面白いとはいえず、前半と後半が別の映画のように、主人公の感情が断ち切れてしまっているようで、長く感じた。
とはいえ前半の母親と娘のパートは面白くて、殿山ハツエの伸び伸びした体と表情の魅力が溢れているし、母親も生き生きしていてとてもいい。
救急車に加害者と被害者が乗り合わせる終盤などは、もっともっと面白くなるはずだと思う。

2作目の濡れた唇は1作目からがらっと変わって、すでに、映画としても、物語自体も、その後の神代辰巳の映画の原点といえるように思われ、原始共同体のイメージ映像までがはっきりと示されている。
この後、神代辰巳の映画は、このイメージ映像の周縁を巡り続けているように思われる。性の共有を中心とした共同体のイメージ、ユートピア。濡れた唇はそのテーマを、むき出しの形で、完璧に示しているように思われる。
絵沢萌子が男の名を何度も呼ぶ、その声が、母親の声のように聞こえ、地母神的な大らかさとエロスと愛を体現しているようで、地元の男と再会してからの、おおらかで、にこにこ笑って、恋人の前で平気でセックスする感じがすごくいい。
死んだ、江沢萌子のヒモの葬式が地元で行われていることで、集団就職で一緒に出てきたらしいことがわかり、再会した男とも元々関係があったらしく、彼女が、性の共有におおらかな共同体の人間で、都会では、それが金銭に換えられ、労働となっていたことがわかる。
終盤の、二人の男が女を交互におぶって走る場面も、その後の映画で反復されることになる素晴らしい場面。
出会いのデートクラブのやり取り、ラーメン屋、万引き、死んだヒモを二人で分担して蘇生しようとする場面、三人で外人接待の場面と服を着ながらの逃走、トラック後部の帆布、バスの車中、ゲリラ撮影と思しき捕り物の場面等、全ての場面が生き生きとして楽しく、江沢萌子の唐突な言動の理由が一々示されないのも素晴らしい。