『青春の蹉跌』『アフリカの光』(神代辰巳)、シネマアートン下北沢
『青春の蹉跌』の陰鬱さと『アフリカの光』のやけっぱちの明るさは、虚無の現れ方の表と裏のように思える。
しかし『アフリカの光』の世界の果ての感覚とユートピアの感覚の混在、人と人のつながりの不穏さと、不意に訪れる愛の混淆はなんなのだろう。涙。
『青春の蹉跌』で萩原健一が道沿いの柵を触りながら歩き、向こうから来た人に邪魔されてやめて、そのまましばらく歩くが、中断した場所に戻ってまた柵を触りながら歩き出す場面は、萩原健一のアドリブらしい。望遠レンズでスタッフは近くにおらず、萩原健一一人歩かせてそうなったらしい。
桃井かおりとの最初のセックスで、二人の最期の予兆のように、首を絞め合うような抱き合い方になっている。
桃井かおりの孕んだ子の父親が誰だったのか語られないこと。ふしだらな女でした、それに男がふりまわされました、というだけではない、陰鬱さがある。父娘相姦の匂いは暗示されていなかったように思う、少なくとも自分は気づかなかったが、どうもそんな感じがする。