「百年恋歌」
あらゆる瞬間が美しく、哀しく、はかない。スーチーの全ての瞬間が、かげなえなく美しい。現代の悲痛さが、過去のたあいないといえばたあいない2つの物語ともいえない断片によって、際立つ。逆に現代編が終わった時、シンプルきわまりない最初の2編のスケッチが、輝いたものとして想起される。それを見ているときと、全て見終わったときで、印象が変わっている。ノスタルジーそのものが、1つの映画の中で経験される。
ホウシャオシェンの人物たちはいつも、時代や環境にひたすら翻弄される、その姿を見つめるのだけど、3つの時代で、それを同じ一組の役者が演じることで、叙情的なスケッチを越えた輪廻と無常の感覚が、距離が、よりはっきり現された。ホウシャオシェンの映画の全てが凝縮されている。
冒頭のカットの美しさは、この映画の隠喩であることを超えて永久に記憶に残ると思う。
それから、ホウシャオシェンの映画の象徴、刻々と進行する時間そのものを画面に顕わす煙。
それにしてもスーチー美しい。クイーンオブカエルフェイス。それから、あの脚。トリュフォーのファニーアルダンにもブニュエルのドヌーブにも負けてない。