親切なクムジャさん」「たまもの」「サマリア
親切なクムジャさん」後半が説明的で、説教臭い所がつまらない。後半の私設裁判は犯人の恐怖に注意を向けて欲しかった。フリッツラング「M」のように。悪趣味なユーモアは面白い。子供の幽霊が煙草すってる所良かった。ケーキに顔突っ込む所も良かった。
「たまもの」その場のセンス、面白さが魅力で、逆に言うとそれしかない。ストーリーをきちんとしてほしい。林由実香は魅力的だが、感傷的で幼稚だと思う。彼女が男の感傷と妄想の産物でしかない。
サマリア」セックスのはかなさ、それにとらわれること、伝えたいことが伝えられないこと。最初の飛び降りの後、目を開けるときのショック。その時から映画は現実を越えているし、主人公の女の子にとっても現実が消える。そういう瞬間をきちんと見せている。ラストも感動的。車の乗り方を教え、何も言わずに去る父親。彼女達が売春をする時、いつも助手席にいた。助手席から運転席に移動させること。
 
 「カナリア」と「サマリア」と「片目だけの恋」の少女について。少女(処女性)ー金銭ー愛の関係。
 カナリアの少女は自分が金銭の価値があることをわかっていて、そのことを積極的に受け入れている。しかし映画中で彼女の処女性は保たれており、そこを越えた所にある問題まで行かずにすんでいるからこそ、彼女は揺らがずにすみ、金銭のために働けるとも言える。「サマリア」はそこを越えた所の問題で、そこを越えたとき、彼女達に、揺らぎが起きている。セックスと金銭と愛の間にバランスを見いだすことができない。それが二人目の少女の暴走の源でもある。「片目だけの恋」は正にその地点が問題となっており、彼女は処女を安く捨てるとき、お金が先、と言い、その金を捨てる。