エリ・エリ・レマ・サバクタニのことを相変わらず考えている。
かつて小さな共同体がある期間、存在したらしい。何らかの理由で、その共同体は自壊した。はっきりとした理由は示されず、しかしその共同体のメンバー間に漂っていた不穏さだけははっきりと提示され、また、個人に内在した絶望が示される。ともかく共同体は自壊し、二人の男が残った。二人は隠棲し、調和していた。しばらく後、レストランとペンションを兼ねた場所で、共有するもののない人々が同じ空間を共にする。再び、共同体が瞬間、生まれる。その、いっときの共同体の構成員であることに耐えられず、二人の男のうちの一人がその場所から逃げ去る。その場所でその時、男になにか予感が生まれたのか、なにが起こったのか、過去の記憶がなにか引き起こしたのか、それは示されていないようにみえる。過去を思い出させるいくつかの言葉と、数人の友好的とは言えない人間がいた、というだけのようにみえる。ふたたび共同体は崩壊し、ばらばらになった個人が残る。残った個人たちの間には一対一の緩やかなつながりと、記憶が残る。

ディアハンター(マイケルチミノ)のことを思い出す。直接関係あるわけではないが、風景、狩り/音の狩猟の類似、狩りの得意な男二人のつながり、でふと。しかし、あのような大きな共同体も、明確な三角関係も、濃厚なホモセクシャリティもここにはない。それらはすべて過ぎ去ったことであり、それらの残響、エコーだけがこの映画に映っているように見える。

紀伊国屋に行ったら「ビリーザキッド・21歳の生涯」のDVDが出ていた。