それが絶望から身を守る智恵、技法であるかのように、いたる所で回転運動が行われる。地球の自転を模倣する。人物はとにかくあらゆるものを回転させる。ラジオのチューナーが、妙な楽器が、傘が、自転車の車輪が、ビール瓶が、鍋のスープが回る。宮崎あおいが自分自身を回転させるカットの美しさ。(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)

深さの誘惑のなかにありながら浅さに停まること(「言葉と悲劇」)。

水曜にデプレシャンの特別講義あったのすっかり忘れてた。土曜日と勘違いしていた。残念。

今日はポレポレ東中野で「嵐を呼ぶ十八人」(吉田喜重)。やはり奇妙な映画。この主人公もまた、それを頼りにしていなかったにもかかわらず、自分以外のものを与えられたとき、それを自分の支えとしてしまう、権力と個人のありようを示している。秋津温泉における、戦中・戦後の日本と長門裕之の関係と、この映画の寮長という役割と主人公の関係はパラレルだ。後半、皆が町で喧嘩するあたりから急に面白くなる。ベッドの柵と野球場の柵が檻として使われているのがよかった。

「言葉と悲劇」(柄谷行人)「黄金の壷」(ホフマン)読み中。

Rei Harakamiばかり聞いている。