今日はポレポレ東中野で「戒厳令」(吉田喜重)を観た。
一度観ただけではちょっと感想を書けない。難しかった。
これまで観たものと同じ、権力や関係、他者からの視線、つまり複数の人間たちの集団の間に生まれて来るものがあって、その中心にある空虚なもの、無力なもの、がある。
人物は、他者から見られた表象としての自己、その自己は自分自身が生み出したものでもあるのだが、その表象としての社会的な自己像に縛られ、身動きができないようだ。
あの心霊写真。最後に北一輝を迎えに来る亡霊たち。

ユリイカニート特集半分読みましたが、今のところ面白くないです。

「観察者の系譜/ジョナサン・クレーリー」(新装版)「ヨブ 奴隷の力/アントニオ・ネグリ」購入。

リブリアルテで注文した「Reflections of life」(Idea Books)が届いた。ダゲレオタイプとポラロイドをまとめた写真集。タイトルは死のことを指しているようだ。ダゲレオタイプの、当時はごく当たり前のファミリーポートレイトが幽霊たちにしか見えない。彼らはもちろん今は死んでいるわけで、死んだ彼らが写真の向こうからこちらを笑顔で、または無表情にこちらを見返している様は、黄泉の国からこちらを見ているようだ。死の匂いが濃厚な写真集。アンディ・ウォーホールが首を絞められ、死にかけているポーズのセルフポートレイトがそれを最も明らかにしている。素晴らしい。

ダグラス・サークと小津の映画で人物は、個人の力ではどうしようもない権力関係、社会構造のなかにあって、それをただ受け入れるしかない。それに立ち向かったとしても、何も得るものはないし、あったとしても、それはやはりある関係、構造のなかのものでしかなく、彼らを閉じ込めている構造自体は変化しない。それが無常観という感覚につながっているという気がする。