「出稼ぎ野郎」「悪の神々」(ファスビンダー)、アテネフランセ
「出稼ぎ野郎」は寝てしまった。短く10回くらい。限定された数か所が繰り返し交互に出て来て、カメラも同じ位置が多く、カットを割らず、出来事を飛ばしてドラマを排除する方法は「愛は死より冷酷」同様、スタイル以外のものは読み取れず、自分には睡魔を呼び寄せる。渇いた感じ、シニカルな感じ、クールさを出したいのだと思うが、形式に縛られ、豊かさが出て来ないように感じる。
悪の神々」はフィルムノワールらしい、憂鬱と諦念に満ちた好きな映画だった。カット割りがやや独特で、起きる出来事よりもそのときの人の感情にカメラが向けられる。主人公の行き場のなさ、さまよい感がよく出ていて、女の部屋でレコードをかけて、まるまる一曲分レコードプレイヤーの前でへたっているところなどよかった。主人公が友人宅で死体を見つける所で、死体がごろんとひっくり返る、そのひっくり返り方。車で田舎の友人宅に向かうときの空撮、「夜の人々」を思い出す。友人宅について男がわらの山に飛び込むところで珍しく生き生きしていて、その後の男3人の喧嘩のシーンもおかしくて、喧嘩というより何かを体で交感し合っているように見えた。結局すぐに町に帰るのだが、田舎が一つの逃げ場所の可能性を持っているようだった。音楽の使い方が全体によかった。最初のチークダンスから終盤の女が歌う所まで、夜と性愛と孤独の憂鬱な感じが出ていて効果的だった。多用される鏡を使ったカットもよかった。

家で「0課の女 赤い手錠」を見たが楽しめなかった。杉本美樹仏頂面と唇がかわいく、終盤の暴力シーンの映像、走る車の窓から乗り出して銃を発砲するのを後部座席からカメラを出して撮ったらしいカットや、紙くずが舞い散るところ、とりあえず燃え上がるドラム缶など、過剰な迫力はすごいのだが。
話に面白い要素、葛藤の軸が沢山あるのだが、それは表現されず、ひたすら暴力表現に走っていく。敵役の半気狂い男の、この時代の日本へのルサンチマンがきちんと描けていないために、本当の馬鹿に見えてしまう。警察権力に利用される杉本美樹の葛藤と矛盾、敵である相手との魂の交感が面白くなるはずだが、そういったドラマの面白さには関心がないらしい。潜入捜査や二重スパイものにおなじみの裏切りや権力の不条理、正体がばれる前の不穏さ、怖さの機微が見えてこず、劇画のようなフレームと映像が、暴力とアクションの勢いを表現するほど、見る徒労感が残った。ドラマを壊してただ陰惨な暴力に拘泥していくのは、ある意味すごいのかもしれないが、自分とは縁がないようだ。
荒木一郎がどこにいたのか最後までわからなかったが、ナイフ使いの名人だったらしい。あの男も絞殺される段になっていきなり車中の人形と交互に映されるが、ちょっと意味不明だった。エモーションを出そうとするのはわかるが脈絡がなさすぎる。