哀れなボルヴィーザー(ファスビンダー)、アテネフランセ
人物たちは皆、理性の皮を剥がされた欲望むき出しの人間たちで、全員が徹底的に醜悪に描かれている。小市民的幸福を求めているらしい主人公も矮小化され、戯画化され、グロテスクでまったく同情できない。主人公の駅長服姿や帽子がゴーゴリの人物のような滑稽さを強調し、着替える姿、ベッドシーン、食べる姿、飲んだ後の様子は醜く、ことを荒立てられない気弱さはひたすら卑屈。妻への愛は純粋とも言えるのだが、それがまったく美しくないことで、通俗的な夫婦愛というもの自体が風刺の対象になっている。主人公の愛は、幼児がそのまま大きくなった自他の区別のないグロテスクな自己愛と性欲と通俗的で保身的な家族の観念の集合でしかない。指をしゃぶりながら寝る姿とそれをみて妻が泣く場面がそれを表している。
その妻も醜悪さにおいては同様で、責められるべきは自分のはずが、ヒステリー起こして逆に夫を責め立てるさまやラブシーンなど本当に醜い。肉屋と共謀して噂を流した人々を訴え、夫に証言させるあたりは強烈。
主人公の部下への対応は、他の場合がほとんど弱気なのと対照的で、ヒステリックでひどいが、その部下の二人組もどっこいどっこいの下品な笑い声の覗き屋たち。噂を流す町の人々も同様。ウドキアーの美容師が気持ち悪くて、もっと見たかった。
ラストがあっさりしているのも変な余韻を残していい。世間に対する主人公の弱さ。
フレーム内のフレームとして、窓枠や鏡、ドア、柱や壁の一部などが徹底的に使われ、ときおり、それが鏡の映像だとはわからなくなったりして、人物が鏡の中から出てくるように見えたり、別の世界に入っていくように見えたりして、ふいに現実感があいまいになる。
室内シーンが多いのに、カットを割らずにパンと移動撮影で、役者を厳密に動かして、ワンカット内に意図的な構図が続けざまに出てくるようにしているのは、大変だっただろうと思う。役者の動きに限定があるために不自然に見えることが多々あるが、それが演劇っぽい感じで悪くないと思う。
ファスビンダーの世間に対する悪意と風刺の激しさにめまいがして、薄暗ーい気持ちになる。