パウラ・モーダーゾーン=ベッカー展、神奈川県立近代美術館・葉山館
重いのだけど暗くはない、直接の日光ではなく薄曇りの光でこそ見える、色とトーンが、はかない淡い感覚を伝えてすごく良かった。象徴派的なものと印象派的なものが同時に存在しているようだった。どの絵も背景が魅力的だった。
カタログは、トーンが明るすぎて実際の色が再現されていなくて残念だが買わず、絵葉書を買う。
「肩を抱き合う白と青の服を着た少女」の後ろの少女が絵の向こうからこちらを見つめている。手前の少女の、うつろに横を向いている眼差しはどこを見ているのだろう。「コップの黄色い花をもつ少女」の時間が凝固しつつ震えているような感じ、「パリの家並を展望する窓の前の自画像」の下から見上げた不思議な角度の自画像、「白樺林で猫を抱く少女」の、こちらを見ている猫。

帰りに砂浜を歩いていて、石を拾ったら、その石がぼろぼろと崩れて、他の石も拾ったら同じようにぼろぼろ崩れていく。ぼろぼろ崩れる石というものを知らなかった。崩壊していく感覚。

友人に勧められて「花腐し」(松浦寿輝)を読んだ。過去が再帰し続ける現在。

家で近松物語(溝口健二)。
茂兵衛がおさんの足に口づけをし、その後、主従関係の放棄が語られる場面のなまめかしさ。強烈なマゾヒズム
なりゆきであるかのような二人の道行きはしかし、茂兵衛の思いにおさんが気づいた所から始まる。全ては、現実に縛られ、風邪と疲労でもうろうとした茂兵衛の、二人で堕ちていきたいという倒錯的欲望が現実化したのものである、と見てもかまわないしそのまま見てもかまわなくて、どちらにしても、映画の悪夢的感覚と、恋によるカタストロフィ、崩壊へと真っ逆さまに堕ちていく被虐の甘美な感覚に変わりはない。
たちの悪そうな咳をしていた茂兵衛の風邪があっさりと治っている奇妙さなどは、入念に暗示されている。眠っている茂兵衛に呼びかけるおさんのあやしい、生霊のような声。
茂兵衛が主人から詰問され、下女が悪役を買って出る場面で、ほとんど行われない切り返しが茂兵衛とおさんの間で行われるのに、どきっとする、切り返しの効果的な使用。
横移動の美しさ。船の、恋が語られる場面、琵琶湖の探索場面の美しさ。
茂兵衛が仕事するのも、閉じ込められるのも、屋根裏のような閉所であり、おさんから隠れるのも、二人が隠れる納屋も、狭い密室である、一つ一つの閉塞的空間の面白さ。
幼少時の自分にとっても押入れでの夢想が楽しみだった。薄暗い閉所が夢を生む。