死者の書川本喜八郎)、岩波ホール
顔の輪郭の美しさ、眼の動き、まぶたの閉じ開き、着物の織りなど人形自体はもちろん魅力的で、路上や広場や邸宅で、多くの人形や馬、大道芸まで出てくるのは楽しいが、そこは手を抜いてもいいから、主人公2人と物語の表現のほうに狙いを絞ったほうが良かった気がする。音楽もつらかった。
特に重要場面での表現が控えめで、エロチズムが薄い。宗教心と性的恍惚が一体になって、他者が語る死者の記憶と結びつき、幻想が現実を上回っていく高揚感に欠ける。
人形はいいのだが映像がシャープでクリアすぎて、幽玄なイメージが出てこない。
大伴家持恵美押勝など脇役も出番少なく十分役割を果たしていなくて、5話くらいあるうちの1話めのようだった。二人が郎女と会う場面はない。
よかったのは、大津皇子の顔に落ちる水滴。郎女が水底に漂うイメージ。雨中、寺まで歩き続けるシーン、結った髪が解けるところ。郎女が写経するカット。

答えの出ない矛盾や、自己と他者の相克、果てない快楽と倦怠という、死が来るまで続く生のありようの、宙吊り状態としての時間を持続して表現していない映画への興味が減じるのを感じる。
オリヴェイラの「不安」の第2部は、それが内容だけでなく映画の時間そのものとして表現されていた。映画を見ている時間そのものが快楽と憂鬱に包まれていた。

「触覚、」(デリダ)、「イコノエロティズム」(澁澤龍彦)、「複数にして単数の存在」(JLナンシー)購入。