亡霊怪猫屋敷(中川信夫)、ラピュタ阿佐ヶ谷
殺す男と殺される男が碁を指す場面は面白くなりそうだったが割とあっさりで、殺す男の母親が非常に重要な気がするのだが、やはりおざなりで、息子と面と向かって母子の関係が示されることもなく、母親が息子にどういう感情を抱いているのかわからない。
現代編の妻が、因縁の血を継いでいて、妻の兄も出て来て、アッシャー家のように兄と妹の関係に何かあるのかと思いきや、何も出て来ない。あの屋敷を、彼女らの先祖が継いだことの意味も示されない。
殺した後、男を壁に塗り込める、ポオの黒猫と思しき場面もあっさりしている。時計のぜんまいが何度も映される、運命の歯車が回っているというのも今ひとつ効いてなかった。
化け猫の耳が立ったり、腰元をもて遊ぶアクロバティック場面がなぜか長々描写される場面が、面白いと言えば面白い。
カメラはよかった。お話よりも、どうやって怪奇に撮るか、に賭けていたのだろうと思う。冒頭の、二つの場所がつながる長いワンカット。現代編のカメラは常に、誰か=亡霊の主観に見える。濡れている、途切れた足跡、予想を超えた荒れっぷりの屋敷、カラスが手前に映りつつ、家の中にカメラが入っていくカット、猫が血をなめるカットなど、よかった。それから、盲目の母の目に映る息子の亡霊。

人と人が向かい合う映画が見たい。人と人が対面して、画面になにかもやもや立ちこめてくるような。レクターとジョディフォスターの対面。鈴木清順の映画では、二人の人物が座っている場面がいつもスリリングになる。どうということもないかも知れない場面がのっぴきならないものとして画面に現れる。