ハスラー(ロバートロッセン)
DVDが1000円そこそこだった。買って久しぶりに見る。
主要な三人の過去はほとんど語られないのだが、それぞれが過去を引きずっていて、三人の間でその傷が再現され、あるいは過去の失敗を取り返そうとしているように見えてきて、それが不穏さと寂しさの漂う一つの町=舞台で行われ、その町の外で必然的な悲劇が起こる。
エディは母の愛を欲している。彼は孤児かまたはアル中の母親に育てられたのだろうと思われる。ハスラーの世界で生きるためには、母の愛を断ち切らねばならない。強い父であるゴードンは失った息子を取り返すかのように、それを執拗に求め、エディは母の愛と父の倫理の世界の間で引き裂かれている。弱い父であるおかまっぽい前マネージャーが亡霊のように姿を現し、捨てられた女のように振る舞う時にはあっさりと捨てるが、勝者/敗者という一つのルールに従っている強い父のゴードンには逆らえない。そこでゴードンとサラが父と母として、エディをめぐって希望のない争いに向かう。
リリス」とほとんど同じキャラクターであるサラの絶望感ははかりしれないがその過去は明確には示されない。びっこをひく歩き方、タイプライターの打ち方、エディと出会った時のやりとりなど、強烈で、その背後には、父娘の近親相姦の匂いが濃厚に漂っている。町の外に向かう列車の中で、サラがゴードンのことをよく知っているかのように振る舞うのは、彼に、父=男=女を弄ぶもの、の姿を認めているからで、サラが幸福だったのはエディがギャンブラーの世界から罰則を受け、彼女の家で彼女の保護下にある時で、愛の名の下に縛り付けておきたい欲望がかなえられており、それは恋人ではなく母親と言え、恋人であり母子でもあるという関係に唯一の希望を見いだそうとしている。
エディはファッツに勝つことが目的だったはずが、それは幻影でしかなく、その時、立派だったファッツは小さく見えてきて、エディの味方だが表立って逆らえない、父の秩序に屈した、気の弱い叔父のように見えてくる。
サラが屋敷の二階からよろよろと降りて来て、カクテルを次々と空け、いつのまにかゴードンの元にたどり着き、ゴードンが何事かささやく、それは人々の声と音楽にかき消されて聞こえないが想像はつき、そこから悲劇に至るまでの場面はすごい。最後の手前、ゴードンに自ら近寄っていく所から悲劇までの間は、父親=男=女を弄ぶものへ、自己破壊の、命がけの抗議で、エディを命がけで母の愛の元にとどめ置く行為のようにも見える。
エディが選択する、父からの脱却の場面では、ゴードンは、かつて失った息子を再度失うようかのに、ぐらついているように見えるが、和解がなされることはなく、エディの出奔が明るいものには見えない。
ゴードンがポーカーしている部屋が隠し部屋のような不吉な閉塞感があり、秘密の決定がそこでなされていそうに見える。
ビリヤード場の店員のびっこ、サラのびっこ、エディの手のギプス、ゴードンのつぶれた鼻、ファッツの丸く大きな肉体。みな何かが欠けているという印象を受ける身体を持っている。
ギャンブラーの男の世界が、家庭の悲劇によって遮られ、反対を表明される、しかし男の、金銭の強者生存の世界は揺るぐことはなく、その擁護者たる男にも虚しさが漂い、息子はさまよい続けるしかない、どこまでも暗く陰惨で救いは見当たらずカタルシスはなく、アイロニカルというのでもなく、寒々した薄暗い気持ちになれる。