蟲たちの家(黒沢清)を見た。藪の中式で、事実が四人四通りに分断されて事実は見えぬまま進行する語りは洗練されていていいなあと思う。映画自体は割と無難で、職人のように、いつものやり方で滞りなく進むという感じで、特に驚くような所はなかった。CG で盛り下がる面もある。
男女で完成された関係を目指そうとするのは大いなる幻影と似ているが、大人の夫婦で行うことで一歩エロスに踏み込もうとしているがやはり踏み込まず、寓話的に処理しようとしている。やはり男女の情痴沙汰は避けたいらしい。浮気相手と喫茶店で向かい合ったとき目線がずれているように見えるのは狙っているのだろうが、西嶋秀俊のキスシーンがたいへん不器用に見えるのは意図的なのだろうか。原作の悪夢の感覚はモダンなファンタジーに変わっている。
荷造りしている二人はどこに向かうのか。他者に振り回されない場所か。孤島のような場所かそれとも心中か。どちらにしても現実世界には、そのような場所はないように思う。
しかしはた迷惑な二人だという感じもするのは、最終的に話が二人のほうだけに向き、見る人のほうが出てこないせいだろうか。ちょっとハンニバルのようだった。ハンニバルは滅茶苦茶やって、最後に無理やり成立させるけど、これではちょっと物足りなくて、だからはた迷惑な二人、という感じがするのか。もう一度従兄弟か愛人のほうに振ってもよかったような気がする。家を外から見ながら、夫婦とはなんなのだろうか、と問う視線が欲しかったような。
動いていない車中の演出は面白かった。緒川たまきよかった。

会社早退し、早稲田の演劇博物館で神代辰巳オリジナルシナリオ集をコピーして家で寝ながら読む。シナリオで読むと、一貫して、同じことを繰り返し語っているようなのが、よりはっきり伝わるように思う。最初の「濡れた唇」でそのことが一番むき出しの形でに語られているように思う。その内容は自分自身にとっても大きい。「白い指の戯れ」もシナリオで読むと映画より明確に語られているように思い、それは自分の映画の見方が甘いだけなのかもしれないが、こんなに面白かったかと思う。
動物では当たり前のスワッピングは、人間の間ではいつどこで倒錯とされるようになったのか、その抑圧の背後にはなにがあるのか、その抑圧を越えたところに自由が、または新たな関係の可能性はないのか・・・云々。
濡れた唇が来月見られるのが楽しみ。