20060503

「沓掛時次郎 遊侠一匹」「陰獣」(加藤泰)、シネマヴェーラ
遊侠一匹は前半良かったが、後半は話がちょっと安っぽくなるように感じた。
最後の喧嘩の後で女の元に帰るその時の中村錦之助の、あまりにさわやかな表情に違和感を覚える。もっと疲れ果て、血にまみれているはずではないだろうか。人を殺すことは、うんざりするようなことであったはずではないのか。錦之助の鬼神のような強さの背後には相当薄暗いものがあるようで、前半はそういう感じが出ていたのが、後半消えている。
ロケとセット、現実的な舞台と非現実的な夢のような舞台が、連続するシーンの中で共存するのが素晴らしくて、映画が時次郎の無意識の世界のように見えてくる。
渥美清中村錦之助を見失って追ってはっと見ると、笠が4つ空を舞っているカット、女が去ってから夜の桜吹雪になり、そこから過去を語る錦之助に聞こえてくる三味線の音から女との再会の場面など美しく、印象に残る。
女が、男の故郷のことを、その話を聞いたせいで自分の故郷のように感じる、と言うのが良かった。
渥美清、一人で殴り込む時の立ち姿、簀巻きにされた姿、よかった。
池内淳子は、目を閉じている時は魅力的だが、目を開けていると(つまりほとんどの時)、色気がない。

陰獣は面白い話のはずが、詰め込み過ぎなのと、主人公の感情が後半見えなくなることで、迷走してしまったように思う。
あおい輝彦が屋根裏に上がる場面は、彼の心の世界のようで、天井の隙間からのやりとりが良かった。女が天井の上の相手を死んだ男の名で呼ぶのがいい。
その後の、別の女がいきなり脱いで、ぶって、という場面も悪夢的で面白かった。
しかし、その後、主人公が女と寝てからが、ぐだぐだになってしまう。
一度、女の魔力に引きずり込まれたあおい輝彦が、元の自分に戻っていく所が全然見えない。謎が解けていくにつれ、再び女が恐ろしくなっていくはずで、謎解き自体はどうでもいいと思うのだが。そのため、最後の口笛は間抜けにしか見えない。
間抜けな男の、シニカルなギャグ映画として見ればいいのかもしれないが、それにしては後半、やはり皮肉が効いていない。いずれにしても中途半端だった。結構笑ったけれど。
ロマンティックな加藤泰と倒錯的エロチシズムの話は相性が悪いように思い、それでも一つ一つの場面の凝った画面や少しずつ時間を飛ばしたりするつなぎは見ていて楽しけど、時折疲れる。

夏の夜の10時半(マルグリットデュラス)読み中。