下北沢シネマアートンで「一条さゆり 濡れた欲情」(神代辰巳)を見たが、宝石のような映画だった。
ほとんどプロットらしいプロットもなく、単純で適当でばらばらな映画のように見えるのだが、魔法がかかったように面白く、深いところにある伊佐山ひろ子の感情が、馬鹿馬鹿しい動き、言動、表象の中に示される。直接的だけど屈折してるというか、理性を通過したところではない所で言動になって現れるのが素晴らしい。
伊佐山ひろ子の表情、動き、言葉がとにかくかわいくて仕方ない。出所した粟津號をうまく操縦する回転ベッド上のやり取り、女王のように男を操縦するさまと、一条さゆりへの劣等感が生む過剰な行動。伊佐山ひろ子にとってエロスとは男や世間を操るものであるのに対して、一条さゆりはエロスそのものになることの、格の違い(があると思い込んでいること)。
傘の使い方、伊佐山ひろ子の荷物の入った巨大なアルミケースを、受苦のように引きずる男、そのケースに入って道路を滑走し、車に激突して出てくる場面のおかしさ、回転ベッド上、回転木馬上のアクロバット、留置所で柵につかまる動き、ミルク芸の時の表情。
一条さゆりの最後の舞台で、近親相姦とエロスとタナトスが突然、交錯する。父と首吊りとエロスのモンタージュ
白川和子もかわいかった。博多弁。

「濡れた唇」も再度見た。四人になってからの微妙な関係の動きが、おんぶして交互に走ったり、電話ボックスに入ったりといった行為で示されるのがやはり面白い。泥棒して逃げて一室に逃げ込んだ後、主人公と粟津號の恋人がセックスするのを見る、絵沢萌子の表情が素晴らしかった。